一年に一度 みんなで校歌を思い出して唄おうや。
島根県立矢上高校卒業生会東京支部長の中山正雄でございます。
私は、1969年3月に矢上高校を卒業しました。2年生の秋から3年生の夏にかけて生徒会長を務めさせていただきました。高校卒業後すぐに東京に出て新聞奨学生をしながら社会福祉の大学で学びました。大学時代に福祉現場にかかわり卒業後東京で福祉現場に就職、そして、25年間の現場経験を買われて大学の教員となり2021年3月に定年を迎えました。
退職後、故郷の母校のために何かできればと、卒業生会に連絡したところ「支部長不在の緊急事態で、今必要なのは支部長だ」と言われ支部長の役割を断り切れず、お引き受けしました。
新型コロナの感染拡大の中でしたので、少数の役員で集まり会を続けてきました。昨年5類に変更されて、多くの皆さんと関わり会えるようになり大変うれしく思っています。
東京矢高会では、多くの先輩たちや少し私より若い方たち、皆さん様々なところで活躍されていて、私の知らないことを一杯教えてもらうことができ、この年になっても「新しくを知る会」となっています。一方、活躍の裏には多くのご苦労があります。そんな苦労話も、また苦労の最中にいる方も気持ちを受け止めあえる会となっています。
矢上高校を卒業されて関東地方におられる方、遠くても東京に来ることができる方、東京に来られたばかりの方もみんな仲間です。気楽に連絡いただき関わりあおうではありませんか。このHPが一役買ってくれることを願っております。
お待ちしています。
矢上高校東京支部第10代支部長 中山正雄(21期)
矢上高等学校校歌
矢上高等学校校歌
作詞 沖 行喜
作曲 阿部幸次
1 原山かすむ 鎮守(しずめ)の森
老杉(ろうさん)しげる 丘の辺へに
愛と奉仕に 営みなれる
これぞ吾等の 郷土(さと)の誇り
気高く床しい 矢上高校
2 学友和み 師弟むつむ
栄えある学風 生し立てて
叡智と汗の まどいをなせる
これぞ吾等の 宿命(さだめ)と抱負(いだき)
伝えてかおる 矢上高校
3 学べ集えよ 文化の園に
たぎる血潮に 道を拓きつ
社会と国とに 捧げつくす
これぞ吾等の こよなき希望(のぞみ)
使命(つかえ)ぞ重し 矢上高校
瑞穂校校歌「名にし負う」
瑞穂校校歌「名にし負う」
作詞 日高勇人
作曲 日高 要
1 名にし負う中国山脈
そそり立つ秀麗の土地
この里の偉容を誇るは
矢上高校 瑞穂分校
2 出羽川流れて止まじ
学徒われ文化の潮に
掉さして宇宙の真理を
究めなん のぞみは探し
3 御幸松永久に変わじ
おのがじしたゆまず努め
ゆるぎなき理想の郷土を
うちたてん 決意はかたし
4 日に栄ゆ瑞穂分校
学徒皆外国までも
手をのべても世界の平和を
もたらさん 使命は重し
矢上高等学校応援歌
1 熱射骨焼く夏の真昼
寒風はださす冬の朝
遠き茜の射す夕べにも
克気の己の心とし
鍛錬たゆまぬ我が○○部
今ぞ振るわん時ぞ至る
2 若人の血潮も燃えたぎり
深紅の意気に気負いたつ
吾等矢高の栄誉をにない
その義は正を旨として
鍛錬たゆまぬ我が○○部
今ぞ振るわん時ぞ至る
明渓寮寮歌
明渓寮寮歌
作詞 白須・柳幸
作曲 日高 要
1 柏に結ぶ朝の霧
清き流れの明渓や
濁悪の世をせんかんと
万里流れて海につき
ただ永劫の岩をかむ
大綿津海のけだかさや
2 早春伸びし寮の窓
白雲淡く浮かびたり
故郷を遠くいで立ちて
山河はるかにもの学ぶ
清くけだかく憧れの
集いはここに明渓寮
3 渓流きよくせせらぎて
もろ紅葉に色染めし
紫紺の野辺や星のかげ
人生はるかに思うとき
それ青春の意義深く
希望の血潮波うてり
(明渓寮卒業文集4号 1957年度版より、作詞は6期生で作曲は音楽の先生だと思われます。)